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by moon99999
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カシアス内藤、ジムを開く

カシアス内藤、というのは元プロボクサーだが、彼の名前を知っている人の多くは、沢木耕太郎の読者では無いだろうか。

カシアス内藤、というのは日本人と黒人のハーフに生まれ、ボクサーとなって世界に挑戦した男だ。 カシアス、というのはカシアス・クレイ、すなわちモハメド・アリにあこがれてつけた名前だ。

彼は結局敗れる。沢木は、「破れざる者たち」という短編集の中で「クレイになれなかった男」というタイトルで彼を描いた。



それから沢木と内藤のつきあいが始まる。そして、内藤が東洋王座戦にチャレンジする、というのを知り、沢木もそれに積極的に協力し、それを「私ノンフィクション」という形で朝日新聞の連載として世に問うた。それがかの名作「一瞬の夏」である。

私はこれを新聞掲載時に読んでいたが、途中まではフィクションだと思っていた。 なぜノンフィクションだとわかったか、というとその中に当時(あるいはその直前)世界チャンピオンだった工藤政志、という人名が出てきたからだ。 実在の人物が出てくるのだったら、ノンフィクションなのでは、と感じたのだ。

それから、長い年月が過ぎた。

内藤は当然引退したが、数年前に、女性向けのボクササイズを(あるいはそれも)やるジムをオープンするという記事をどこかで読んだ。

その後そのことも聞かなかったが、特に忘れていた。

そして、数日前、このような記事が出た。

「がんと闘った元王者、カシアス内藤さんが念願のジム」

どうやら彼は、がんと闘っているようなのだ。
記事は、こう続ける。

「資金不足などから思いはなかなか形にならず、2000年には、横浜市にある実家の土地と市有地との境界線を巡る陳情で市役所を訪れた際に、市職員を平手で殴って逮捕されるという最悪のトラブルも起こしてしまった。

 追い打ちをかけるように、のどにがんが見つかったのは一昨年暮れ。すでに気道がほとんどふさがれるほど病状は進み、医師からは切除手術を勧められたが、手術を受ければ声帯や舌の摘出も避けられない。」

だがなんとかがんも小康状態だという。
そして、沢木を含むいろいろな人々の援助を経て、今回、この「E&J カシアスジム」はオープンしたという。

目指すは世界チャンピオンの輩出だ。
今はハングリー精神が少ないので、なかなか世界チャンピオンを目指すというのは困難だろうとは思う。
それにボクシング人口が少ない現在、このジムがどこまで成功できるのか。それはまだ未知数だろう。

「クレイになれなかった男」が、クレイの存在すら知らない世代をどこまで導けるか。
ここに、一つの、あるいは複数のドラマが始まった。 内藤の、沢木の、そしてジムのメンバーたちの夢を乗せて・・・。


記事はこちら
http://tinyurl.com/4bdrs




スポーツニュース - 2月25日(金)14時44分

がんと闘った元王者、カシアス内藤さんが念願のジム

今月設立した「E&J カシアス・ボクシングジム」で、指導にあたるカシアス内藤さん(横浜市中区で)
 
 「カシアス内藤」のリングネームで活躍したプロボクシングの元東洋ミドル級チャンピオン、内藤純一さん(55)が、がんの発見と入院という試練を乗り越え、念願のボクシングジムを横浜に開いた。

 ノンフィクション「一瞬の夏」(新潮文庫)の主人公としても知られる内藤さんは、「いつか世界チャンピオンを」と意気込んでいる。

 「顔はまっすぐ」「何だ今のパンチは」。トレーニングウエア姿の内藤さんの声が、ガラス窓と鏡張りの壁に囲まれた空間に響く。

 横浜市中区のJR石川町駅前にオープンしたばかりの「E&J カシアス・ボクシングジム」。「26年かけてようやく夢がかなった……」。ボクシングの指導に不可欠な声を失わないようにと、苦しい闘病生活に耐えてきただけに、内藤さんの喜びはひとしおだ。

 内藤さんは、進駐軍の軍曹だった米国人の父と日本人の母との間に生まれ、1968年にプロボクサーとしてデビューした。日本と東洋の王座を獲得したが、世界タイトル挑戦の夢はかなわないまま74年にいったん引退した。

 4年間のブランクを経てリングに復帰したのは78年。東洋王座奪還の夢が破れ、翌年に再び引退するまでのドラマをノンフィクション作家の沢木耕太郎さん(57)が描いた「一瞬の夏」は、新田次郎文学賞を受賞するなど大きな反響を呼んだ。

 内藤さんは2度目の引退前、指導を受けていたトレーナーの故エディ・タウンゼントさんに、自分も将来は後進の育成にあたることを約束。引退後は、トラック運転手や配管工事など様々な仕事をこなしながら、ジム開設の機会をうかがった。

 しかし、資金不足などから思いはなかなか形にならず、2000年には、横浜市にある実家の土地と市有地との境界線を巡る陳情で市役所を訪れた際に、市職員を平手で殴って逮捕されるという最悪のトラブルも起こしてしまった。

 追い打ちをかけるように、のどにがんが見つかったのは一昨年暮れ。すでに気道がほとんどふさがれるほど病状は進み、医師からは切除手術を勧められたが、手術を受ければ声帯や舌の摘出も避けられない。

 「声が出せなくなれば、ボクシングの指導はできなくなる」。内藤さんは医師と家族を説得して抗がん剤と放射線照射による治療を選び、「胃を取り出して投げたくなるほどの吐き気」に耐えた。昨年4月に退院を許された時、腫瘍(しゅよう)は最初の5分の1に縮んでいた。

 ジムは今月1日、沢木さんや、内藤さんの写真集を出したことのあるカメラマンの内藤利朗さん、高校時代の同級生ら多くの人の資金援助を受けてオープン。早速、14人の練習生が集まった。

 今も月に1度、通院して抗がん剤の投与を受けている内藤さんは「がんには勝てなくても、共存できれば自分の勝ち。いわばドロー狙いだから、気は楽ですよ」と話している。
(読売新聞) - 2月25日14時44分更新
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by moon99999 | 2005-02-26 23:42 | ランダムウォーク