盗作について思う(2)
2005年 08月 18日
さて、コミックの盗作ということでいうと・・・
まだそれほど大きな問題になっていないようだが(少なくとも私は知らないだけかもしれないが)、最近私が読んだ作品『誰のための綾織』について、三原順「はみだしっ子」からと酷似する点がたくさんあるのに、それが記載されていない、という指摘があるブログであった。
http://oppincle.seesaa.net/article/4785373.html
はっきりいえば、今回の篠原氏と同じケースだ。
どうなっていくのだろうか。
コミックにせよなんにせよ、原著作権者がいるのであれば、そこははっきりさせるべきであろう。
だが三原氏はすでに鬼籍に入っている。どうなるのかはすぐにはわからない。
プロットが似るというケースはあるだろう。
昔(はっきりいってえとが一回り以上している)、「野性時代」に掲載された、栗本薫氏(中島梓のペンネームだったかもしれない) の作品のなかに、沖田総司が現代にタイムトリップする、というテーマの作品があった。
正直、すごく驚いた。
アイディア、プロットが、小林信彦氏の短編にそっくりだったからだ。
中島氏がさすがにそんなことをするわけないだろう、とは思ったのだが、それでも盗作の疑惑は私の中では消えなかった。
その作品名は覚えていないが、改作された後に、なのか別作品なのかわからないが、中島氏の原作で、演劇の舞台ができているようだ。
いまは「まぼろし新撰組」というもののようだ。
今のプロットは私が読んだ記憶のものとはかなり違っているようなので、問題はないとは思う。
原作品を読んで、小林信彦氏はどう思ったんだろうか。(読まなかったのかもしれないが)
ぜんぜん関係ないのだが、その舞台の中で、芹沢鴨が「おれは幕末に帰りたい」というせりふを言うらしい。
新撰組メンバーにとってはあの当時は幕府は絶対だったわけで、あの当時のことを、何があっても「幕末」と呼ぶことはないだろう、と思うのだが。
まあそこは原典を見ないで勝手に書いているのでなんともいえないが。
盗作、剽窃が露呈するとき、それに対する批判は小さくない。
大月 隆寛氏が田口ランディ氏の盗作を批判したとき、彼はこんな本まで書いている。
「田口ランディその「盗作=万引き」の研究」http://tinyurl.com/a6899 この本の表現は、あまりに悪口雑言であって、読むに耐えないほどのものであった。 指摘している内容はもっともなものが多かったのだが、大月氏がなぜにあそこまで人を貶めることに血道をあげたのか、は理解できなかった。
話がそれた。
さて米国では剽窃というのはものすごい罪だと教えられる。
剽窃はプレージャリズムというのだが、それをやったら単位を落としたり、それこそ退学だってあるらしい。これは厳しい学校の話で、「玲子@チョート校」 http://tinyurl.com/blbhe
という、岡崎玲子さんという高校生が米国の超エリートスクールに留学したときのエピソードとして出てきた。
まあ実際は、米国ならそれがとても厳しい、というわけではなくて、よく剽窃があるからそう言っている、というのが正しいだろう。
学校でも、宿題がインターネット上の材料に似ているかどうかを調べるようにしているようだし、そういうソフトすらあるらしいから。
昔、ネットニュース(アメリカのalt.rec.animation.sailor-moon だったかな?)の中で、セーラームーンの絵について「自分がコピーしてアップしたんだから、著作権が自分にある」とかほざいている莫迦がいた。 アメリカにしてもその程度の感覚なのだ。
話を戻そう。
いまの情報化社会では、「こっそりとパクル」ことはほぼ不可能になりつつあるのではないか。もちろんアンダーカバーで終われば別だが、いやしくも有名人たろうとする人々は、誰のアイディアをこっそり取っても指摘されるだろう。
だったら最低限参考資料を明らかにした上で、引用については明確にすべきだろう。
そういえば、甲子園である学校が校歌を流したら、別の学校と同じ節だった、というのでびっくりされたケースがあったっけ。作曲家は同じ。
歌詞が七五調や五七調なら、曲は同じにつけられるもんな~
これは剽窃ではないが、まあ秘密にしたかったことではあろう。 情報化社会の例ということだ。
ただ、小説・マンガの場合、プロットをもらった、とか表現をもらった、というのは正直難しい部分はあるとは思う。
「ゴレンジャー」は「ガッチャマン」の盗作だとは(あるいはその逆かな)誰もいわないだろう。
だが5人であつまって敵をたおす。紅一点がいる、とか、パターンなんだよな。だがこれは業界では『お約束』というだけだ。
で、よくわからない結論。
情報化社会の現在においては、意図的なパクリはどこかで露呈する。そのネガティブインパクトの可能性を考えた上で、パクリはできるだけ避けるべきである。 プロットの一部やアイディアをもらうにしても、できるだけ原典を表示すべきだろう。 (最低限、単行本化されるときには書くべきだ。ろう。)
第三者がそれを見つけて指摘するとき、かならずしも人は優しくない。
ふー疲れた。最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
まだそれほど大きな問題になっていないようだが(少なくとも私は知らないだけかもしれないが)、最近私が読んだ作品『誰のための綾織』について、三原順「はみだしっ子」からと酷似する点がたくさんあるのに、それが記載されていない、という指摘があるブログであった。
http://oppincle.seesaa.net/article/4785373.html
はっきりいえば、今回の篠原氏と同じケースだ。
どうなっていくのだろうか。
コミックにせよなんにせよ、原著作権者がいるのであれば、そこははっきりさせるべきであろう。
だが三原氏はすでに鬼籍に入っている。どうなるのかはすぐにはわからない。
プロットが似るというケースはあるだろう。
昔(はっきりいってえとが一回り以上している)、「野性時代」に掲載された、栗本薫氏(中島梓のペンネームだったかもしれない) の作品のなかに、沖田総司が現代にタイムトリップする、というテーマの作品があった。
正直、すごく驚いた。
アイディア、プロットが、小林信彦氏の短編にそっくりだったからだ。
中島氏がさすがにそんなことをするわけないだろう、とは思ったのだが、それでも盗作の疑惑は私の中では消えなかった。
その作品名は覚えていないが、改作された後に、なのか別作品なのかわからないが、中島氏の原作で、演劇の舞台ができているようだ。
いまは「まぼろし新撰組」というもののようだ。
今のプロットは私が読んだ記憶のものとはかなり違っているようなので、問題はないとは思う。
原作品を読んで、小林信彦氏はどう思ったんだろうか。(読まなかったのかもしれないが)
ぜんぜん関係ないのだが、その舞台の中で、芹沢鴨が「おれは幕末に帰りたい」というせりふを言うらしい。
新撰組メンバーにとってはあの当時は幕府は絶対だったわけで、あの当時のことを、何があっても「幕末」と呼ぶことはないだろう、と思うのだが。
まあそこは原典を見ないで勝手に書いているのでなんともいえないが。
盗作、剽窃が露呈するとき、それに対する批判は小さくない。
大月 隆寛氏が田口ランディ氏の盗作を批判したとき、彼はこんな本まで書いている。
「田口ランディその「盗作=万引き」の研究」http://tinyurl.com/a6899 この本の表現は、あまりに悪口雑言であって、読むに耐えないほどのものであった。 指摘している内容はもっともなものが多かったのだが、大月氏がなぜにあそこまで人を貶めることに血道をあげたのか、は理解できなかった。
話がそれた。
さて米国では剽窃というのはものすごい罪だと教えられる。
剽窃はプレージャリズムというのだが、それをやったら単位を落としたり、それこそ退学だってあるらしい。これは厳しい学校の話で、「玲子@チョート校」 http://tinyurl.com/blbhe
という、岡崎玲子さんという高校生が米国の超エリートスクールに留学したときのエピソードとして出てきた。
まあ実際は、米国ならそれがとても厳しい、というわけではなくて、よく剽窃があるからそう言っている、というのが正しいだろう。
学校でも、宿題がインターネット上の材料に似ているかどうかを調べるようにしているようだし、そういうソフトすらあるらしいから。
昔、ネットニュース(アメリカのalt.rec.animation.sailor-moon だったかな?)の中で、セーラームーンの絵について「自分がコピーしてアップしたんだから、著作権が自分にある」とかほざいている莫迦がいた。 アメリカにしてもその程度の感覚なのだ。
話を戻そう。
いまの情報化社会では、「こっそりとパクル」ことはほぼ不可能になりつつあるのではないか。もちろんアンダーカバーで終われば別だが、いやしくも有名人たろうとする人々は、誰のアイディアをこっそり取っても指摘されるだろう。
だったら最低限参考資料を明らかにした上で、引用については明確にすべきだろう。
そういえば、甲子園である学校が校歌を流したら、別の学校と同じ節だった、というのでびっくりされたケースがあったっけ。作曲家は同じ。
歌詞が七五調や五七調なら、曲は同じにつけられるもんな~
これは剽窃ではないが、まあ秘密にしたかったことではあろう。 情報化社会の例ということだ。
ただ、小説・マンガの場合、プロットをもらった、とか表現をもらった、というのは正直難しい部分はあるとは思う。
「ゴレンジャー」は「ガッチャマン」の盗作だとは(あるいはその逆かな)誰もいわないだろう。
だが5人であつまって敵をたおす。紅一点がいる、とか、パターンなんだよな。だがこれは業界では『お約束』というだけだ。
で、よくわからない結論。
情報化社会の現在においては、意図的なパクリはどこかで露呈する。そのネガティブインパクトの可能性を考えた上で、パクリはできるだけ避けるべきである。 プロットの一部やアイディアをもらうにしても、できるだけ原典を表示すべきだろう。 (最低限、単行本化されるときには書くべきだ。ろう。)
第三者がそれを見つけて指摘するとき、かならずしも人は優しくない。
ふー疲れた。最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
by moon99999
| 2005-08-18 12:48
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