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by moon99999
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盗作について思う(3)

さて、ここで某氏からのコメントがあった。

「篠原さんというかたを個人的にはぜんぜんぞんじあげません。できたら、「ちょっとしたウッカリ」だと信じてあげたい。
ヘレン・ケラーがかいた小説が既存の作品にそっくりで「パクリだ~」といわれたときに「すみません、ずっと前に点字で読んで覚えてしまっていたんだと思います」って謝ったという事件もありました。あまりに好きすぎると「なかば自分のものにしてしまって」彼我の差すらわからなくなるということもありえなくはない。 」

好きだったら自分のものになってしまう。それはそうなのかもしれない。
一言一句が自分のものになる。だからそれを自分のことばに置き換えて再生産しても、類似した言葉になってしまう。

そういう部分はあると思うし、実際に創作活動しているときには、過去の読んだ文学書からマンガまですべて自分の血となり肉となっているとすれば、それがどこかで出てくる、ということはありえるかもしれない。
も、だからこそ、その出典に対して気を遣うという考えを持って欲しいと思う。

日本におけるマンガの黎明期、手塚先生だっていろいろな海外のストーリーをイタダイて、それでマンガに仕立てたことはいくらでもある。
それこそ、「赤塚不二夫のことを書いたのだ」になぜか手塚先生のことも出ていたけど、その際に開かずのネタ部屋ってのがあって世界の文学とかがならんでいたようだ。

だが、大筋をもらうのと、せりふとかをもらうのはやっぱりわけが違うだろう。

(引用)
その元ネタが決してばれないように、必死で頭を使いましょう。うまくごまかしなさい。そうかんたんに見破られないように変装させてしまいなさい。これを換骨奪胎といいます。(了)

これは、「もう一度だけ新人賞の獲りかたおしえます」という本の引用だ。
やはり、自分の血や肉となっているとしたところで、自分のどこの肉がだれの影響、とかを把握しておかないといけない、ということなのだろう。

ただ、もう一つの問題は、表現方法としてマンガが優れている可能性もある、ということだ。
少なくともマンガのほうが出版数が多い、また読者も多いから実は目が肥えている。
だから表現が洗練されていく可能性がある、という。
なるほど。
昔は文学からマンガがパクル(というより大いに参考にする)という一方通行だったのが、いまやその逆も普通に行われうる、ということなんだろう。

べつにここで大塚英志と笙野頼子の議論を持ち出す気はない。
ただ、マンガというものも今では立派な文化たりえており、マンガという枠だけでなくてそれ以外の人々、芸術作品にも多大な影響を与えている、ということだ。

本を読む人が他の本を参考にするとき、メジャーどころの手法は、評論家は皆把握している、というのはたぶんそうだろう。北上次郎、大森望、豊崎由美といった人たちはいったいどれくらい本を読んでいるのだろうか?  その一方、マンガは把握しきれない。 私の知人で蔵書一万冊超の人がいるが、彼でさえ把握しているマンガはごくわずかだ、と言っている。

話が大きくなってしまった。
いずれにしても、マンガを参考に(本当の参考かパクリかはさておき)して文学を書く、というのは今後どんどん大きくなっていくだろう。
あるいは、いまの10代、20代の作家は、マンガや文学、ゲームといった間の境界線というものを軽々と乗り越えていくのではないか。というより、 本来のマンガとかゲームの出し手のほうがメディアミックスによるプロモーションを続けていった結果として、メディアミックスに慣れた受け手が作り出されていて、その人々が創作者になったときには、すべてのメディアは表現手法の一つになってしまうのかもしれない。
ゲームのコーディングはさておいて、世界観づくり、フローチャートなどは共有していける可能性があるかもしれない。

もちろんそれだけでは不十分だから専業作家が成立するわけだが。すくなくとも、その世界観を作り出す、プロデューサーとしての役割をになっていける若いクリエーター(作家かもしれないしマンガ家かもしれない)が今後どんどん出現していくだろう。


と、またまた話がそれた。

マンガからの影響であろうが何であろうが、あまり頻繁にその影響を表に出すのははばかられるだろう。 
いくらなんでもどこかで気がつく人が出てくるだろうからだ。

単純な引用をついうっかりしてしまった、なぜならマンガで読んだものが自分の血や肉になってしまっていて、引用しようにもしえないくらいだったからだ。 こういうことになるのだろうか。
あるいは偶然の一致で突っぱねるのか(本当にそうかもしれないし)。
外部からのインプットが多ければ多いほど、自分の世界観作りに役立つ、という人と、多いと自分のアイディアが他人に影響されすぎる、という人がいるのだろうと思う。

どちらが正しいということはないだろう。 ただ、クリエーターの仕事というのは、どんなインプットであっても、自分の中で咀嚼して、自分のものとして、独自の世界観で作り出していく、というものだと思う。  過去は過去。他の作品は他の作品。オマージュとかトリビュートならともかく、影響をうけているだけでオリジナル作品だというのであればそこははっきりと影響元に近い表現は意図的に排除しなければならないだろう。

今の時点で篠原氏がどうかはわからない。
彼のオリジナリティによる作品だったとしても、酷似している、という点でその作品の評価に影響が出る。しいては部数もそうなのだろうか。 

いずれにしても、今後の作品で篠原氏の力量が試されることになるのだろう。すくなくとも、二度目は無い。
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by moon99999 | 2005-08-21 16:01 | 本にかかわる話